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既婚女性のつまずきに見る女の生き方

長い独女歴が「将来の幸福度」を上げる?! 既婚女性の“つまずき”に見る女としての生き方

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【うるおい女子の映画鑑賞】 第60回『リトル・チルドレン』(2006年・アメリカ)

 

「女性」の視点で映画をみることは、たとえ生物学的に女性じゃなくても日常では出会わない感情が起動して、肌ツヤも心の健康状態もよくなるというもの。そんな視点から今回は、一見すると幸せな既婚女性の“つまずき”にスポットを当てた『リトル・チルドレン』(2006年・米)を紹介します。

 

 

 

|ストーリー

 

郊外の主婦サラは、あけすけで低俗な話ばかりのママ友たちにうんざりし馴染めずにいました。また、上手く愛情を注げない娘、仕事ばかりの真面目な夫という家庭にも違和感を感じていて、欲求不満はつのるばかり。

 

出典:IMDb.com

 

そんな中、ママ友たちに「プロム・キング」と陰で呼ばれ羨望の視線を集めるイケメン主夫トッドと親しくなり、急接近します。トッドも実は、バリバリ働く妻に対し、司法試験にむけて勉強中のニートという負い目を感じ満たされない日々をもてあましていたのです。こどもたちを連れて逢瀬を重ねるふたりはやがて、平日午後の快楽に溺れていきます。

 

 

 

|順調コースを通ってきた既婚女性が陥った憂鬱と快楽

 

結婚、出産、この2つを目指して日々邁進している独身女性も多いというのに、稼ぎのいい夫、郊外の立派な持ち家、かわいい娘、そのすべてを手にした専業主婦のサラですが、いつも不機嫌で、他人を見下していて、自分の居場所に違和感を感じていて、欲求不満。でも、何が不満なのかは彼女自身もわかっていない様子で、満たされない“何か”を埋めるために手に入らないもを追いかける彼女が快楽に溺れていく様子は、なんだか生臭いもの。

 

出典:IMDb.com

 

たぶん、サラは運命の人を求めて恋愛に効くパワーストーンを買ったり、占いに頼ったり、恋愛指南書を血眼になって読んだりといった、長めの独身時代を過ごす女の通過儀礼を通っていないのでしょう。流れに身をまかせるように、手頃な男と結婚して、順調に子宝にも恵まれ、経済的な不安もなく、一見恵まれた生活を送りながらも、不幸にも微妙にインテリなサラは「わたしの人生はこんなものなのか?」という疑問を持ってしまっているのです。

 

すでに溢れんばかりの宝物を手にしているにも関わらず、感謝することも謳歌することもできず、知性を持て余し、郊外の暇な専業主婦という自分が許せなかった彼女が求めたファンタージーが、イケメン主夫のトッドだったのです。彼との情事は魂の解放でもなんでもなく、暇人によるただの快楽主義だったと彼女は後に気がつきますが、そもそもそんな虚しい快楽にパワーストーンを買ったことのあるような女性であれば溺れることはない気がします。

 

 

 

|“快楽”と“自分らしさ”をすり替えない

 

後日、不倫に溺れ借金に追い込まれて自殺する「ボヴァリー夫人」の読書会に参加したサラが「今なら彼女の気持ちがわかる」と語り、ボヴァリー夫人を淫乱呼ばわりする主婦を論破しますが、彼女は自分の堕落した快楽を正当化するために、“自分らしさ”や“魂の解放”といった高尚な言葉を使っているだけ。彼女は本当はトッドとは生きられないことも、彼が運命の人でもなんでもないことはどこかでわかっていて、欲求不満の捌け口の“快楽”を自分の現実と向き合うことから逃げるために“自分らしさ”という言葉に摩り替えているだけというのは明白です。

 

たしかに自分らしく生きることは大切ですが、人はどこかの時点で「大人になる」と決めなければなりません。つまり結婚や育児にコミットするためには、堕落した“快楽”は断ち切らなければならないものなのです。

 

そんな“快楽”から目が覚めたサラを見て、「何やってんだこの女」と思えたら、あなたは順調な独女キャリアを築けているということ。いつか運命の人に出会い結婚しても、サラになる可能性は低いでしょう。長い独女歴も捨てたものではないのです。<text:kanacasper(カナキャスパ)>


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