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今も残る数少ない武士の町・金沢。ガイドさんの案内で巡る【長町武家屋敷跡】

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金沢を歩くなら、おすすめは日本に残る数少ない武士の町【長町武家屋敷跡】。黄土色の土壁が続く路地や加賀藩士の屋敷跡、足軽の住居など、戦国時代から明治維新までの武家文化に触れられます。街のボランティアガイド「まいどさん」の案内で、武家社会の名残にひたってみませんか。

 

 

 

|武士の町を散歩する

 

400年以上にわたり戦場にならなかった金沢の町。今も至る所に古い建物や江戸時代の面影を残す街並みが残ります。長町(ながまち)武家屋敷跡もそのひとつ。町名の由来は、加賀八家と称される8人の家老のうち長(ちょう)家の屋敷があったからという説と、南北に長い町だったからという説があります。サムライ文化に触れられるため、インバウンドにも人気です。

 

▲ボランティアガイド「まいどさん」

 

無料で町の案内をしてくれるボランティアガイド「まいどさん」。金沢言葉で「こんにちは」という意味です。「長町武家屋敷休憩館」に常駐していて、手があいていればすぐに案内してもらえます。確実にガイドをお願いするなら10日前までに申し込んでおきましょう。

 

▲古い街並み

 

江戸時代に作られた黄土色の土壁が今も残る路地。明治維新と共に武士が町から姿を消すと、武家屋敷のほとんどは取り壊され、土地は分割して切り売りされました。残された当時の土塀は、市が管理・保存しています。

 

▲長町武家屋敷跡のベスト撮影スポットがここ。道の先を見通せないのは、敵に攻められることを想定した城下町特有のつくりです

 

▲石高によって変わる塀の高さ

 

階級制度にはっきりとした差が設けられていた武家社会。石高、つまり武士の給与の差によって、塀の高さもちがいます。また塀の屋根が瓦ぶきか板ぶきかでも、そのちがいが判ります。

 

▲江戸時代からの姿を残す「長屋門」。門番や使用人、または家臣などの居所と門を合わせた建物で、写真の長屋門には厩(うまや)も備えます

 

加賀藩では、長屋門を構える武士は400石以上。現在の金額に換算すると約4000万円以上の収入です。上の写真は、450石の武士が住んでいた屋敷跡で、現在は民家として利用されています。

 

▲中は非公開ですが、藩政時代からの数少ない武家屋敷が残っていて、民家として利用されています

 

▲長町を流れる大野庄用水には、武家屋敷内に水を引き込む給水口が見られます。現在も使われていますが、取材時は工事のため水が流れていませんでした

 

長町の道に沿って流れる大野庄用水は、藩政時代は道幅全体が用水路になっていて、城を護る堀としての役割のほか、物資の輸送や町の防火用水、消雪用水として使われ、武家屋敷の中を通して庭園の池や川の水としても利用されました。金沢に武家屋敷跡が残るのは、用水路のおかげで火事が少なかったからと言われます。

 

 

 

|足軽屋敷で当時の生活に触れる


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