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北陸の花街・金沢【ひがし茶屋街】をガイドさんと巡るおさんぽ旅

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ひがし茶屋街は領民に謡を奨励した加賀藩が、1820年に犀川西岸の「にし茶屋街」とともに、浅野川の東岸に開いた花街。江戸末期から、明治、大正、昭和初期にかけての建物が並び、古民家をリノベーションした商店やカフェ、飲食店などが軒を連ねる風情あふれるスポットです。

 

▲和服姿が似合う街

 

▲ひがし茶屋街のメインストリートには、古い建物が並びます

 

街並みを文化財として守るため、国の文化財保護法により2001年に重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

 

▲国の重要文化財「志摩」

 

「志摩」は、文政元年(1820年)の茶屋町誕生とともに立てられたお茶屋さんです。200年前の姿をほぼ残す建物で、有料で中の見学もできます。

 

▲一見さんお断りのお茶屋さん「藤とし」。樹齢200年を超える赤松が、2階の屋根から突き出ています

 

「藤とし」があるのは、もともとお寺のあった土地で、1820年の茶屋町誕生時に建物を作る際、門前にあったご神木を切ることがためらわれ残すことになったそうです。

 

▲花街らしい華やかな色使いは紅殻色

 

ひがし茶屋街で目に付くのが紅殻(べんがら)色の建物。酸化第二鉄を原料にする顔料で、防腐効果があるほか、雨の多い金沢の街を明るく華やいだ色にみせています。

 

▲虫カゴのような格子「木虫龍(キムスコ)」

 

町家特有の窓格子は、京都にくらべると各段に細い金沢風。特に虫カゴのような格子「木虫龍(キムスコ)」は、横断面が台形になっていて、外側から中は、人の気配はするもののはっきりと見えず、逆に室内からは外がよく見えるという造りです。

 

▲明治37年に建てられたお米屋さんは、安政6年(1859年)創業の「経田屋(きょうでんや)」。現在も営業中です

 

金沢では、白い布に黒い文字はお米屋さんを意味します。この大きな暖簾は、お米をたくさん買えない人が外から見えないようにするもので、「気配り暖簾」と呼ばれます。

 

▲商売繁盛にトウモロコシ

 

民家や商家の軒下に吊るされているのは、ひがし茶屋街の一画にある長谷山観音院の「四万六千日」で祈祷されたトウモロコシ。旧暦の7月9日にお参りすると、4万6000日参詣したのと同じ功徳があるという凄いもの。家内安全、商売繁盛に効果があるそうです!

 

▲城下町ならではの細道

 

敵に攻め込まれることを想定した城下町。ひがし茶屋街も槍を振り回しづらい細道(写真)と、迷路のように曲がったりくねった通りが続きます。ところが、ひがし茶屋休憩館前の通りは真っすぐ。加賀藩主前田家の奥方様が観音院へ安産祈願に向かうため、直線道路になっています。

 

 

 

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