わたしは、階段を下りるのが苦手です。特に、駅や会社、お店などにある少し長めの階段を下りるのがこわいです。
その理由は、「落ちそうで」「落とされそうで」こわいから。
そうなったきっかけは、小学生のときのできごと。
ある掃除の時間。階段の最上段にいたとき、後ろにいた男子にふざけて押されました。本気でつき落とそうと思っていたのか、そこまで深く考えずにふざけてどついた感覚だったのかはわかりません。当時の記憶では、「軽い気持ちで押してみた」というニュアンスだったのだろうと思います。
とはいえ、その「どつき」によってわたしは思い切りバランスをくずしてしまい、一番下の踊り場まで落ちていきました…。
途中にもう1箇所踊り場がありましたが、そこには着地できなかったので、まあまあの段数を落ちたことになります。死に物狂いで運動神経を発揮したからか、大きな怪我はせずにすんだのですが、自分にとっては高いと感じたところから、
自分の意思とは関係なく落とされた
という経験は本当にこわかったようで、その後はしばらく、夜なかなか眠れなくなり、さらに半年くらい生理が止まりました。本気の恐怖はここまで体に影響するのだと実感したできごとでした。
そして、今。(かなりの)大人になった今でも、階段を下りるときにその時の怖さがよみがえり、条件反射で体がわずかにすくんでしまうのを感じます。
たとえば駅の階段は、絶対に端側にいないとこわくて下りられません。真ん中は、こわい。もう、後ろから誰かに押されることはないはずなのに、こわい。
そのつもりがなくても、誰かにぶつかられて落ちるのでは、という思いが常にどこかにあって、こわい。下りているときも、手すりにいつでもつかまれる位置にいないとこわい。
いつも、「どうしてみんな、落ちる恐怖を感じずに勢いよく下りられるの…!」と思っています。ここまで時間が経っても階段がこわい気持ちが変わらないということは、おそらくわたしはこれからも、階段を下りるときにうっすらとこわさを感じ続けるのだろうなと思います。
小学生の体験が、ここまで尾を引くとは、本当に思ってもみませんでした。もしかしたら、誰の中にもこんな風に「長い時間が経っても残っている」こわさ、悲しさ、つらさ、痛みなどがあるのかもしれません。
過去の経験は、時間が経ったら薄れていくこと、忘れられることも多いけれど、完全になくなることはないのかもしれない…と思うようになったのは、この「階段がいつまでもこわい」自分を自覚したからです。<text:なまけるための片付け/花太郎(整理収納アドバイザー) https://note.com/namake_kataduke>
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2025/04/23| TAGS: lifestyle
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