整理整頓や片づけは、少しでも生活を快適にするために避けては通れない課題の1つですが、いざ取り組んでみたところで「なかなか片づかない…」という方は少なくないようです。そこで、整理収納アドバイザーとライフオーガナイザーの資格取得の際に学んだ内容から、仕事や家事、気持ちを片づけるときの基準にしていることを紹介します。
|「女子」は捨て、「女」は捨てるな
ある夜のこと。
娘「〇〇ちゃんのお母さんって美容マニアで、すごく肌がきれいらしいんだけど、〇〇ちゃんが肌荒れしていた時、『うわぁ〜、すごいね!(荒れてるね)』って言ったんだって。それって、女子だよね」
わたし「確かに、(そのニュアンスだと)ちょっと女子っぽいかもしれないね」
娘「たぶん、〇〇ちゃんのお母さんは、女子を捨ててないんだよね。女は捨てなくていいけど、女子は捨てるべきだと思う」
お、おう…こわいな。
わたし「ねぇねぇ、そもそも女子っていつ捨てるべきなのかな」
娘「子どもを産んだらじゃない?」
わたし「なるほど。じゃあ、子どもがいない女性なら、いつまでも女子は捨てなくてもいいってこと?」
娘「まあそれは、本人やパートナーが良ければいいんじゃないかな…」
わたし「女子っぽいっていうのは、自分中心! って感じなのか。だから、子どもができたら捨てた方がいいってこと?」
娘「うん、そんな感じかも」
女は捨てなくてもいいけど女子は捨てるべき。
なかなかインパクトのある娘の言葉に軽く引きつつも、なんとなくその気持ちもわかるような気がしました。わたしも自分より年上の女性に対して「女子だなあ」と、少しネガティブな方向で感じることがたまにあるからです。
「この人のことは『女子』として大切にした方がよさそう」「対応を間違えて怒らせると、ちょっと面倒なことになりそう…」などと感じると、少し気を引き締めて接しています。
わたしは「女」はこわくないけど、「女子」度が高い人のことは少し怖い。
この気持ちをさらに掘り下げてみると…「女子」っぽい言動は、他者目線や承認欲求が軸になっていることが多いのでは、と思いました。また、年齢や見た目、社会的な立ち位置を意識した発言が多いのも特徴。
もちろん、これらが悪いわけではありません。でも、働き始める、子どもを持つなど、ある一定のライフステージを迎えたときに「女子」っぽい言動に違和感を抱くことがあるのは、おそらくその人の軸が「自分の外側」にあると感じるからなのだと思います。
そして、この「女子」っぽさ、遠い昔には、わたしの中にもおそらくあった感覚。「かなり大人だけど女子」と感じる人と出会うと、そのときの自分のことを、「あの人(わたし)、めんどくさかったなぁ…」と思い出すのか、まるで遠い昔にしっかりと封印したはずの箱を再び開けてしまったような複雑な気持ちにもなります。
こんな風に、ある一定のライフステージを迎えている人の「女子」っぽい言動に違和感を持つことがあるのは、きっと娘だけではないのだろうな…と思いました。
では、娘から捨てなくてもいいと言われた「女(女性)」としての言動とは…?
わたしが思うに、自分軸を持ち、他者からの評価よりも自分の価値観を大切にすること。そして、自分の感情をコントロールしながら、相手と向き合うこと。そんなイメージです。
そう考えてみると、これらの要素はたしかに「女子」より、「女(女性)」の方が持っているような気がします。娘が私に伝えたかったのは、きっとこういうこと。
「子どもが生まれたら、『女子』的な他者依存や自己中心的な価値観を捨てて、子どもを第一に考えながら、自立した女性として生きていく必要があるのではないか」
まだ学生であり、堂々と「女子」でもいられる娘は、大人世代に「大人の女性」としてのふるまいを期待しているのではないかと感じました。とはいえ、わたしは何歳になったとしても、「女子」を完全に捨てる必要はないとも思っています。
娘は「女子」を捨てるべきだと言ったけど、「女子」から「女性」へと変化を遂げた人の中にも、「女子」的な要素は必ず残っているはず。そしてその部分もきっと、その人の魅力の一部であるはず。わたしは、「女子」強めの女性を「正直ちょっとめんどくさい」と思いつつも、どこかで「女子っぽくてかわいらしいな」とも感じることがあります。
大切なのは、状況に応じて「女子」と「女性」を使い分け、バランスよく年齢を重ねていくことなのかもしれません。娘との何気ない会話をきっかけに、そんなことを考えさせられた夜でした。<text:なまけるための片付け/花太郎(整理収納アドバイザー) https://note.com/namake_kataduke>
2025/10/19| TAGS: lifestyle
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