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「冷静」と「あきらめ」の間【毎日が変わる片づけのワザ(273)】

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最近、ほぼ毎日、「いまの自分は冷静なのか」、それとも「いまの自分はただあきらめてるだけなのか」を考えています。冷静とあきらめの間にいる自分を自覚しているからです。

 

これを考えるのは主に、仕事において。

 

数年前に大きな変化のあった今の職場。あまりポジティブではない変化がその後もたびたび起こり、現在も起こっています。それらが積み重なった結果、心がじわじわと弱っていくような気がする。それはわたしだけでなく、多くの同僚にとってもそうだったようで…

 

社内のSlackチャンネルのなかには、怒りや疑問、これからどうしたらいいのかという不安な声が多くやりとりされているものもあります。そのチャンネルに入って横から見させてもらいながら、「同じ気持ちの人もたくさんいるんだな」と知ることで少し救われたような気になったり。

 

わたしは怒りでも不安でもなく、「もう、働き方も組織も変わることは止められないのだから、受け止めるしかない」という気持ちの方が勝っています。

 

これを、「変化を冷静に受け止めている」ということもできそうですが、最近の自分は正直、「何を感じても、何を思っても事態はよくならないとあきらめている」割合が大きいな、と感じています。

 

「もう何かを感じるだけ無駄」

 

という気持ちになるのは、その対象に対してもう何も期待していない、そしてそこに心を向けることや正面から向き合うことを放棄した、ということなのではないかと思います。

 

そして…これに似た気持ちをわたしは感じたことがある!

 

そうだ、結婚していたときに、元夫に何度言ってもトイレの使い方を改善してもらえなくて、それが積み重なって心底嫌になったあのときと似ている!と。

 

そんなことで? と思う人も多いかもしれません。でも、そもそも男性と暮らした経験がない(父不在の家庭だったので)ので、トイレが経験したことのない汚れ方をすること、それを毎日掃除しなければならないことは他のどんな家事よりもつらかったのです…。それを理解してもらえず、

 

わたし「だから嫌だって言ってるじゃん(この時点では心からの怒り)」

 

元夫「わかったわかった(で、改善されず)」

 

ということが続くと、心がどんどん無感情になっていくのをそのとき感じました。

 

話がそれました!

 

今のわたしは、「家のトイレを何度言ってもきれいに使ってもらえなかった」ときの冷め切った気持ちに近いのです。冷静ではなく、あきらめ。「何言っても何を思っても無駄無駄!」という、放棄です。

 

「ほぼ何も感じない」

 

「期待しない」

 

「どうにもならないことについては考えたり感じることをやめる」

 

これは心の省エネだし「ラク」ではあるのですが…。冷静とあきらめの間にいたわたしは、気づけばあきらめ側にいました。これなら「怒り」や「不安」をいったん素直に感じた上で、「冷静」側に調整する方が、心にとっては健全かもしれません。

 

引き続き、冷静とあきらめの間にいることを自覚しながら、こまめに「今の自分は冷静側? あきらめ側?」と確認していきたいと思っています。<text:なまけるための片付け/花太郎(整理収納アドバイザー) https://note.com/namake_kataduke


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