都会の無くし物

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先日、佐渡へと渡った。
今回も「鼓童」という太鼓芸能集団の方々とのお仕事だ。
2年もの研修期間を終えてそこからまた選考され、やっとメンバーになれたここの方々は、
本当にいい人達で心が澄んでいる。この自然に囲まれた土地と人々との関わりは、
東京で「作られた流行」を追っている自分を小さくしてくれる。
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海が荒れると船が出ず、島に渡れない。
秋になると「おけさ柿」がなり、干し柿にするためにそれぞれの家には柿の暖簾が出来る。
街灯のない夜道を歩くと、空には大きな大きな星がすぐそこにある。
「叩く」という単純な行為で太古から伝わってきた音。
 鳥の鳴き声の様な笛の音色。
ブランドのバッグ買ったり、浴びるほどお酒を飲んだり、
飛ばすとこなんてどこにもないのに何百キロもスピードの出る高級車を乗り回したり、
東京に何となく流れている「豊かになれば勝ち」的な感覚は、
一体自分の人生に何を残してくれるのか。
限りなく自然に近いものから伝えるものがあるからこそ、
本当に今,大切なものが見えてくる。「
神」が存在するのならば、アスファルトの上ではなく,聖書の中でもない。
僕らの知らない長い長い旅をして,
目の前に転がっている小さな石ころの中にこそ
「神」は宿っているのではないだろうか。
 今、鼓童の芸術監督をされているのは人間国宝の坂東玉三郎さんだ。
この方が歌舞伎において、お弟子さんや若手の俳優さんに指導する事は無いらしい。
その中で、音の強弱や見せ方など「鼓童」のメンバーに稽古されている。
実際、関わった歌舞伎界側の大道具さんや舞台監督,床山さんも,
口を揃えて「あんな雲の上の方が指導されているなんて恵まれている」と言う。
そして、努力家であり,稽古や経験を積み重ねられて来られた方だからこそ、
若手にご指摘される言葉は本当に身にしみる。
 「『 能』には『稽古は本番の様に、本番は稽古の様に』という言葉があります。いつも同じ様に…」
 「主観と客観を持ちなさい。今は何をしているのか。それを出来るだけ遠くから見れる自分を作りなさい。
そうすれば何をしなければいけないか見えてきます。その距離が遠ければ遠いほど、
色んな事が出来るようになる。それが専門家とアマチュアの違いです」
 「もう出来ないというくらい、先端部まで魂を込めて稽古しなさい。
そうすれば最後は神様が背中を押してくれます」
都会にいればスマホに目をやり、2次元の情報に振り回され、
時間に追われ、時代遅れは恥だと言われ、youtubeで見たつもり、体験したつもり…
欲だけが膨らみ、大切なものは埋もれてしまい、もうどこへ行ったのかさえわからない。
人だけではなく、水や土や空や海があってこそ自分は生かされていると思えば、
案外ひょっこりと神様は見つかるのかもしれない。

 


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